男女の違い-数学的能力や脳の違い-
京大(兄)東大(弟)が伝える 数学能力や脳などの男女差
日本社会の報道圧力による思い込みと誤解
日本の社会は、後天的努力が好きで、先天的なもの、特に男女差の存在を忌み嫌っている人たちが多いように思えます。
そのためか、巷のページで、非常に都合よい結果だけを見て、男女差は存在しないなどと誤った見解を述べているページが多くなってきています。
もちろん、どんな能力に関しても、全て遺伝や男女差で決まっているものではないですが、遺伝や男女と言う事で大きく影響があるのは事実であって、その事実を無理に穿って覆い隠すような事をするのは、本人にとっても、社会にとっても良い事にはなりません。
なぜなら、自分にとって都合の悪い真実を受け容れられないような人間の集まりは、他の人にストレスを与え、とても自己中心的な動きをする事が多いからです。
ところが、日本の報道はとかく、男女差を嫌う。また、社会的に、遺伝的な能力を認めたがらない傾向を感じます。
大事なのは、事実を見つめ、その中で自分が努力していく事だ。 そのために、表面的な話ではなく、少し突っ込んだ内容を記載してます。
ステレオタイプの影響もあるが、やはり男女差はあった・・
ある国の中に、男性が主権を持つ部族(カルビ族)と、女性が主権を持つ部族(カシ族)があります。前者は、土地なども男性が相続していきますが、後者は、逆に女性が相続して行きます。
この二つの部族で、数学の能力について実験した(ホフマン・ニーザの研究)ところ、
男性が主権を持つ部族では、男性の方がかなり高い得点をとり、女性が主権を持つ部族では、男女の得点差が出ませんでした。
これが意味する事は、
1.男性の方が数学能力に優れていること
2.ステレオタイプによって、その後の能力が変わる事
の二点です。
もし、男女差がなく、全てがステレオタイプの産物であるならば、女性が主権を持つ民族では、女性の得点が男性の得点を大きく上回るはずです。何故ならば、男性が主権を持つ民族では、男性の得点が女性の得点を大きく上回ったからです。
ところが、結果は、女性が主権を持つ民族では、男女差が見られなくなったという事。女性が主権を持つ民族ですら、数学能力で、女性は男性を上回っていないということです。
男女差が無いと信じたい人たちのブログやWEBでは、この結果をもって男女差が無いなどという、考察力の無い見解を述べているのですが、それは大きな誤りだという事が分かります。
ただし、たとえば、数学が得意だと言うようなステレオタイプ的な思い込みが、それなりに大きく影響している事も分かるのです。
慶応義塾大学 安藤教授の遺伝子と環境の影響についての研究
遺伝子と環境の影響に関する研究が、世界各地で行われていますが、日本では、慶応義塾大学で、安藤教授と言う方が、双子を研究し、その能力が遺伝要因が強いか、環境要因が強いかを分析しています。
それによれば、数学力は環境要因では20%しか影響を受けない(遺伝要因が80%)という事です。つまり、後天的なステレオタイプなどの環境要因での補填は20%程度しかないという事です。この方は、「遺伝子の不都合な真実」と言う、大変分かりやすい本を出しているので、興味ある方は、読まれても良いかもしれません。
この事からも、ステレオタイプだけで、男女差は無いなどと言う人の意見がおかしな事になっている事が分かります。実は、数学的才能以外にも、他のメンタル要因も、数学の能力有無を決めていると考えられる点がありますので、以下に紹介します。
経済学者の実験 男女の本能の違い
行動経済学者であるカリフォルニア大学サンディエゴ校 ウリ・ニーズィー教授の「その問題、経済学で解決できます。」には、こんな実験が紹介されています。
被験者はバケツにテニスボールを入れるように頼まれる。ただし、この実験における賞金の支払い方法は2つあり、1つは、バケツに入ったボール1個あたり1.5ドルで支払われるもの、もう1つは1個あたり4.5ドルで競争相手よりもボールの数が多くないと賞金は受け取れないというもの。
この実験で分かるのは、競争することを好むかどうかです。
結果は、被験者の男性の50%が競争する方を選んだのに対して、女性で競争することを選んだのはその半分以下で、男性が本能的に競争を好むことが証明されました。
実は、この事は、感覚的にはなんとなく分かっていたことではないでしょうか? 男女差が無いと主張したい人は、こうした事実に眼をつぶってしまいたりするようですが、それでは幸せを自ら放り投げていると思います。 こうした事実を感じ、男女は別の生き物であると認識した方が、お互いの理解することもでき、都合が異なることも何にストレスを感じるのかも思いやることができると思っています。
男女は、本能的にも得意不得意にも差が存在するのです。
個人戦よりチーム(組織)戦で高い生産性を発揮するのは男性だけ
競争本能は、チームプレイに大きく影響してくることから、チームで動いた時の男女差についても気になるところですが、
こちらもしっかりと研究がなされており、慶応義塾大学の中室女史によって、述べられています。(参照’RMS Message vol.42「中室牧子のエビデンスベーストが教育を変える」)
そもそも、労働者にチームを組ませてそのチームに対して報酬を出す方が、労働者のヤル気を引き出し、生産性を高めることを示す研究が出ていますが、これが、男女間でどうなるのか?です。
行った実験から、とある学習を題材に、チームで参加することを割り当てられた生徒たちの方が、個人戦に割り当てられた生徒たちよりも14~20%近くも学習生産性が高いことが明らかとなっています。
さらには、英語・数学の学力テストの成績も高いことが示されたのです。労働者の生産性に関する研究からいえることは、学習者の生産性についてもあてはまる事がまず言えます。
次に大事な事ですが、この結果は男女で異なっているのです。
チームでの参加が生産性にプラスの効果をもたらしたのは、男子のみで、女子にはその効果は表れなかったのです。
つまり、平均してみれば効果はあるように見えるのだが、実は効果があったのは男子だけだったということになります。
この男女間の差は、男女混合や女子だけでチームを組んだ場合に比べ、男子だけでチームを組んだチームが、最もチーム内での協力関係が強く、生産性が高かったことが分かってきています。
おそらく、これが故に、何かの課題を行い、それを達成するために、男性だけで行った方が良い事を古代の日本人は知っており、
日本では男女の共同作業と男女別の分業とが、最適化されていったため、こんなに小さな島国であるにも関わらず、経済力をつけ、強国となりえたのかもしれません。
いずれにせよ結果から、男性は組織になると生産力を上げ、女性は組織になっても個人戦と生産性は変わらない、と言う傾向があると言う事です。だからと言って、男性が常に優れているとか言うつもりはありませんが、組織における生産性という点では、男性の方が得意であるという事は言えます。
脳の男女差
さて、次に脳の男女差です。これについては、様々なものがあって、たとえば、美しいものを見た時に、脳のどの部位が反応しているのか?など、男女差が顕著です。
しかしながら、巷では、非常に表面的に語られ、誤解が多いWEBやブログが多いと感じています。特に、女性ブロガーが書いているものに、大きな勘違いや都合よい解釈が多く、間違いだらけの知識が横行しているように感じます。
過去にはこれらのことを口にすること自体が、「女性の地位の低下につながる」として猛反発を受けてきた歴史があり、その偏った考え方が日本をどんどん潰してきたと思っています。
一番良くある間違いが、
誤:「男性は左脳が優位であり、そのために論理的思考に長けている」
です。
正しくは、
正:「男性の多くは右脳優位であり、そのために空間認知力に長けている。」
です。
また、「女性は右脳優位である」という、明らかな誤りも結構見かけます。最近の傾向で右脳が良いものだと言う誤った思い込みが発生しているためかもしれません。しかし、そんな事は決してありません。そして、「女性は左脳優位」なのです。
特に女性たちが、自分にとって都合の悪い事に目を向けられない事は、社会に良い影響を与えませんし、自分自身も幸せにはなれません。得手不得手があってよくて、自分が全て人と同じ事をしなければいけないわけではなく、誰も求めていないのです。
「性と認知(Sex and Cognition)」と言う本がありますが、こちらを見れば、様々な事が分かります。
男女の脳の性差として男性が優位であるものとして、空間認知力のうち心的回転能力と呼ばれるもの、計算を除く数学的思考力、標的狙いなどがあります。
心的回転能力というのは、図形を別の角度から見たとき、もとの形を推論する能力のことである。標的狙いというのは、ダーツを命中させたり、キャッチボールをする能力のことです。これは、進化の歴史から、数万年以上続いた原始時代での野獣や外敵との戦いが影響していると言われています。
女性が優位であるものは、観念的なものを言語化する能力、大量の図形から同じものを見つける能力、および左右の聴覚の弁別能力などがあります。左右の聴覚の弁別能力とは、右の耳と左の耳で違う音や会話を聞いた時に、それを聞き分ける能力のことです。
性差のないものとしては、語彙、推理能力(視覚、言語ともに)などが挙げられています。
「観念を体系だてて言語化する」という能力は一般的には女性の方が優れていると考えられているのです。
しかし、「論理的思考力」には非言語的な数理的思考力や空間認知力も含まれていると考えると、右脳と深く関係しており、男性は、その右脳が優位なので、男性の方が数学的能力や論理的思考力が高いという事なのです。
また、男性が女性より全ての空間認知力に優れているわけではありません。空間認知力のうちでも、男性が特に優れているのは三次元的な立体認知や、動的な物体の認知力などで、女性は、静止している空間の中でのものの位置や配列を覚える能力が男性より一般に優れていると言われています。
平均すると、男性が女性よりも標的あて系のスポーツ・遊戯や車の運転が得意なのはこのためです。
一方で、抽象概念を言語を介して表現する能力は一般に女性の方が優れています。
しかし、男性は、非言語的思考において男性は論理的なのですが、それを言語に変換する能力において、平均的な男性は、平均的な女性に比べて劣る可能性が結構あると言う事です。
これが、口下手男性や、女性は口げんかが強いなどという話になります。
算数は女性が得意だが、数学になると男性が得意になる。
ここまで書いてきて、思い違いをされる方がおられるかもしれないので、説明したいことがあります。
誤:「男性の方が数学的能力にたけている」
正:「男性の方が数学的概念や空間認知を必要とする数学的能力に長けているが、計算能力は女性の方が長けている。」
こう書くと不思議かもしれませんが、小学校の時、多くの得点は計算によって得られます。
実はその時、女子の平均点が高かったりしませんでしたか?
しかし、中学、高校になると、次第に男子の方が得点が伸びてきます。これには理由があります。
学校レベルでの数学の成績が女性が優位であることは、実のところは人種や国を問わず、明らかな傾向ですが、
ところが、本質的で純粋な数学的「能力」を示すテストでは男性の方が平均点が良いのも、明らかな傾向なのです。
女性が計算力において優れているのは、左脳優位であるからです。結果、「代数」や「数列」的な思考においては、女性の方が優れている可能性が高くなります。
しかし、総合的な数学的思考力には、空間認知力の助けが必要で、空間認知力は、右脳が司っています。
従って、図形が関与する分野においては、平均的な男性は平均的な女性よりも、圧倒的に得意なのです。
もう一つ。言葉で書かれた文章題を数式に直す能力は、一般に男性の方が高いのです。理由は、左脳と右脳を同時に使っておらず、分化させて別々に動かしているため、抽象概念を、感情を介ずに記号のように単純化してとらえる能力が極めて高くなっています。
一方で、女性は、脳梁という、左右の脳の連結をしている部分が発達している。また、左右の脳の機能的な分化がはっきりしない。
そうした特徴により、女性は脳を全般的に同時に活動させることが得意で、自分が過去に得た全ての知識や経験をフルに統合・利用して考えるという思考パターンをとる能力が高いのですが、「符号化」「非言語的な論理化」という作業において逆に妨げになってしまうのです。
算数は、まだしも、単純な論理の積み重ねで解けますが、数学の難しいレベルになれば、複雑な論理の積み上げや抽象認知、空間認識が影響してきますので、整理しきれなくなり、混乱が生じてしまうため、男子の方が得意になると考えられます。
男女は別の生き物です。 同じ事が出来るわけでもなく、する必要もありません。 同じ生き物として考えると、双方のストレスが溜まり、誰も幸せにはなれません。
もちろん、努力を否定するつもりはありませんし、思い込みによる効果も一定レベル存在していますが、自分の特性を見定めて、得意なところを伸ばしていく方がよほど、効果的で本人も幸せや成功を掴む可能性が高いでしょう。
子供たちやフレッシュマンを指導する機会がありますが、そこにいる女子に多く見受けられるのが、「何も努力してないのに出来る人はムカつく/卑怯/ずるい」 と言うコメントです。 日本社会の風潮はこうした女子(全員ではありません)目線で作られているのだなと感じますが、このような他人(特に男性)を自分と異なると言う理由でうらやむ精神では、決して成功もしませんし、幸せにもなれません。
こうした人は、見えていないところで、他人には他人の苦しみがあることを理解できていないのです。
他をうらやんだり、自分が損していると思い込んだり、それを制度や環境のせいにしていれば、与えられた権利に感謝もなく、それを当たり前と認識し、義務を考えずに権利だけ追い求めてしまう人が増えてしまいます。
たとえば、お年寄りがきて、席を譲らない場合、そのお年よりが腹を立てているのをちょくちょくみかけるようになりました。しかし、席を譲れない場合もあります。席を譲ってもらう事が当たり前ではないのです。 これと同様のことが、日本社会のあらゆる所に起きてきているように感じます。
どんなに能力が高くても、どんなに思いが強くても、精神が良くなければ、幸せには決してなれません。
どんなに志が良いものでも、知恵と知識がないと、社会をどんどんと悪化させてしまいます。
大事なのは、男女は違う生物なのだと知るなど、他人を知ろうとすること、自分を知ろうとすること、そして、自分の器を磨く努力をすることです。
本来、NLPは、そうしたメンタルを磨く事が大事であり、我々はそこに焦点をあてています。たくさんのテクニックやスキルがありますが、
スキルそのものに意味は薄いのです。本質的なものを理解頂きたい、それが、我々の活動です。
また、我々は、今の男女をなんとしても同一視しようとする主にテレビメディアから生まれた現在の風潮に一石を投じたく思います。
目的は、将来の日本を良くしたいからです。
皆さんが気づきを得て、器を磨き、自分が気がついていない自分の良い個性を伸ばしていかれる事を祈ります。
また、こうした事実に気がつき、応用できるためのお勧めは、体系的に実践脳科学の基礎を学べるNLPプラクティショナーコースです。
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